これまでの展覧会の紹介

「孔雀の庭」昭和2年(1927年)社団法人北里研究所蔵
市制90周年記念 親密な空間、色彩の旅人 鈴木信太郎展
二科会、一陽会で活躍し、文化功労者としても顕彰された洋画家・鈴木信太郎(八王子市八日町出身)の初期から晩年までの活動を4つのセクションに分け、油彩、水彩画などの作品を中心に約100点を紹介します。

会期
2006年12月22日(金)〜2007年2月4日(日)

休館日
毎週月曜日(ただし、1/8は開館、1/9は休館)
年末年始(12/29〜1/3)

会場
八王子市夢美術館

主催
(財)八王子市学園都市文化ふれあい財団

協力
財団法人そごう美術館 大村コレクション 社団法人北里研究所

後援
八王子市教育委員会 朝日新聞立川支局 産経新聞社多摩支局
東京新聞 毎日新聞社 読売新聞東京本社

企画協力
財団法人日動美術財団

八王子市夢美術館では八王子市制90周年を記念し、地元出身の著名画家、鈴木信太郎の展覧会を開催致します。
鈴木信太郎は、風景をはじめ人形や紫陽花、桃といった親しみやすい題材を色鮮やかな色彩と、童心を思わせる愛らしい画風で描いた洋画家として知られます。戦前から戦後にかけて二科会を中心に作品を発表し、その後一陽会を創立するなど、昭和の洋画壇で活躍した人気の高い画家のひとりです。
明治28年(1895年)、鈴木信太郎は東京都八王子市八日町にある裕福な生糸商の家に生まれました。15歳で黒田清輝の主宰する白馬会洋画研究所に入所し、大正11年(1922年)には27歳で第9回二科展に初入選、以後石井柏亭に師事しながら、二科展に作品を発表し続けて徐々に頭角を現します。戦後は二科会の再興に加わるも、昭和30年(1955年)には退会して一陽会を結成、晩年まで精力的に制作活動を続け、平成元年(1989年)93歳で逝去します。
幼い頃に病気で身体が不自由になった鈴木信太郎は、終生杖や車椅子を必要とする生活を余儀なくされます。しかし、奈良、長崎、北海道、伊豆など全国各地を歩き回り、椅子に腰掛けたり、地面に座りながら制作を行い、生涯を通じて多くの風景画を生み出します。こうした中には対象を低い視点でとらえて描かれた信太郎ならではの独特の風景画があります。また「ざぼん」「桃」「薔薇」「菊」などを題材にした静物画は、特徴のあるフォルムと豊かな色彩で人気の高い作品群です。
久々の大規模な回顧展となる本展では、多くの氏のコレクションを持つそごう美術館や北里研究所、また当館の所蔵する作品を含めて紹介します。地元八王子を描いていた初期から晩年の伊豆時代までの油彩画を中心に約100点で構成、水彩画や人気の高かった小説挿絵なども交え鈴木信太郎の80年近い画業の全貌にせまります。



【略歴】
鈴木信太郎(すずき しんたろう 1895〜1989年)

明治28年(1895年)八王子市八日町の生糸商の家に生まれる。
明治43年(1910年)に黒田清輝の主宰する白馬会洋画研究所に入所する。その後東京府立織染学校(現・東京都立八王子工業高校)で織物図案を学び、上京後、染織図案家滝沢邦行のもとで図案を学ぶ。
大正5年(1916年)の第10回文展に水彩画が初入選。のち、図案の仕事は断念し、絵の制作に専念する。
大正11年(1922年)第9回二科展に初入選、以後石井柏亭に師事しながら、大正15年(1926年)の第13回二科展で樗牛賞を受賞する。
戦前は二科会で活躍し会友、会員にまでなるが昭和30年(1955年)に野間仁根らと脱会、一陽会を結成する。
昭和35年(1960年)一陽会や日展などでの活躍により日本芸術院賞を受賞。昭和44年(1969年)には日本芸術院会員となり、昭和62年(1987年)文化功労者に選ばれる。
全国各地を訪れ描いた風景画や静物画など、独特なフォルムと豊かな色彩で多くの油絵作品を制作した。油絵以外にも、本の装幀や挿絵なども手掛けた。
また、昭和25〜36年(1950〜61年)に武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)、昭和28〜41年(1953〜66年)には多摩美術大学で教鞭をとった。
平成元年(1989年)5月13日逝去、享年93歳であった。

「靴屋」昭和6年(1931年)
財団法人そごう美術館蔵

「越後の海」昭和12年(1937年)
八王子市夢美術館蔵

「白い服と黒い服の人形」昭和53年(1978年)
財団法人そごう美術館蔵

「緑の構図」昭和11年(1936年)
財団法人そごう美術館蔵

「象と見物人」昭和5年(1930年)
財団法人そごう美術館蔵